のらのわ耕舎の鶏と野菜の良い関係

明日香村に鶏500羽と共に農業に向き合う農夫の日々

ラジオをやってみて得たもの

前回のブログ投稿から3日が経ちました。

 

物書きは凄いですよ。

 

小中高と国語の評価よくて3概ね2(僕らの時代は最高5📜ここ大事、今の子達は最大10ですから)な僕には物書きは本当〜に苦難。

 

前回の記事の終わりに勿体ぶった終わり方をしたけど、皆さんどうでしょう?ちょっとは気になってくれていました?

 

ふっふっふっ。ちょっと編集力を出して読者の皆さんの心をこちらに向けてみました。

 

 

何言ってるか分からない?

 

わかるやつだけわかれば良い!

 

フレディー・マーキュリーに扮する花巻さんこと伊勢志摩さんの名台詞ですが、一応不特定の方々に拝見いただくブログでこんなこと言っちゃダメですね。

 

そんなことよりも、僕的にはこれまでブログってプツプツ切れてる印象で、良い意味で読み切り、悪く言えばその場だけの読み物として書いてきました(大して更新していませんが…)でも僕達のらのわ耕舎の日常はず〜っと流れ続いているわけで、ある特定の部分を取り出して書くというのは余程特別な事柄か、めっちゃテンション上がってるかのどちらかです。(あくまで僕談)

執筆に対してこんな姿勢なため必然的に書く頻度が少なくるわけです。

 

じゃあ日々何かが起き、それに喜び、悲しんでいるわけやから書けるだけ書いたら良いってことになるんやけど、そこは4児の父ちゃんでもある僕は時間が圧倒的に足らない!ってのを言い訳にブログの存在を横目にそぉ〜っと置いてきた次第です。

 

で、今回のお題「ラジオをやって得たもの」なのですが、ずばり「自己との遭遇」です。

今後ラジオも10年も続ければ(出来るのか?)ベテランDJみたく思考と発声が同時進行できちゃうのかもしれませんが、初めて地上に足をついたばかりの地上波一年生の僕としましては、思考よりも先に言葉が出してしまうのです。

 

するとどうなるか?

 

自分の中にある言葉しか発声できません。

 

養鶏を始めて9年は勿論、生まれてこのかた42年8ヵ月の凝り固まった僕しか出ません。はい。

口をついて出るって言葉がまさに表現してるかと思うんやけど、想いが声として出るから訂正できない➡︎焦る➡︎思考停止➡︎言いたいこと言う➡︎スッキリ❤️➡︎自己嫌悪➡︎でも本音が言えてやっぱりスッキリ❤️

 

で、先に書いた自己との遭遇を迎えるわけです。

地上波一年生の僕でもやっぱり人間ですから、カッコよく見られたい、尊敬されたい、良い人でありたいっておもうわけですが、ラジオだと取り繕う暇がない、加えて尺が余るとそれを埋める為にいらん事を言ってしまう。

 

でも、このいらんことが凄く本音で重要。

 

国会中継見てても面白くないでしょ。全部事前協議、決まった内容をその通り話し、感情を表現。余白がない。余白がないと本音が見えない。で、表明してた現実公約は何処へやら。そんな国政は信頼出来ないし、期待もしない。

……でも、今すごく大事な時ですよ。個人が未来を信じてちゃんと自分と周りの人達を巻き込んで考えて選択実行しないといけないそんな時だと僕は思っています。

 

 

話が脱線し過ぎですね。

要は僕みたいな小さな存在でも本音を不特定の人達に伝える場があること、また共感してもらえたなら想いを広げられる手段を皆んなが持っている事。それ自体が凄いことだと気付き、思えた事。

 

僕自身は人の本音が見えると安心する。共感することもあれば嫌悪することもある。でも、絶対自分の中にその人の本音は残る。

あとに何も残らないその時だけのイイネ!はいらなんな〜って感じでいた時のラジオ収録で得た衝撃はそりゃ大きいわけです。

 

よくのらのわ耕舎編集長に「舎長の本音はなんなん?!」(正確にはここでは舎長ではなく僕の名前ですが)と怒られてますけど、聞かれれば本音でお応えしてるつもりなんけど、話は終わらないわけで、今思えばやっぱり取り繕ってたな〜と思い返されるんです。本音にいらんモンをつけてたな〜と。その気付きにラジオは一役買ってくれたわけです。

 

長々と書きましたが、一人録音して聞いてみることって、42歳にもなって言うことかとも思うけど、自身の本音と向き合える数少ない手段だと言葉を大にして言い切れます

 

 

 

でした。

 

いや〜、長い。

疲れるので、今後はもっと短く書いていきます囧rz